こころの作業ノートInner Work Notes
自分ではただ気持ちを表しただけなのに、相手が怯えてしまうことがあります。子どもの頃に受けた恐れが「私はやられた」という感覚として残り、大人になると、本人も気づかないうちに人を怖がらせる姿となって繰り返されるからです。
子どもの頃に殴られるなかで積もった怒りは、言葉にできないまま、壊したいという衝動として残りました。嵐の海の前でその怒りに気づき、自分が小さな存在だと受け入れるほど、かえって心が穏やかになりました。
若い頃に忙しいからとやり過ごしたつらい記憶が、中年になると、ドラマを見てこぼれる涙や、明け方ごとに浮かぶ昔のひと言となって戻ることがあります。弱くなったからではなく、押し込めた感情をいま見つめるようにというサインです。
配偶者の不倫を知ると、「一緒に笑っていたときも、私をだましていたのか」と問い直すようになります。肉体関係よりも大きく崩れたのが、お互いに守ると決めた信頼だからです。
飲み会や集まりでは大声で笑っていたのに、家に帰ると何の感情もわいてこない。そんなことが繰り返されるなら、その笑いは、自分の気持ちを高ぶらせて空虚感を覚えずに済むようにする試みなのかもしれません。
自分を侮辱し、コントロールする人だとわかっていても、連絡が途絶えると眠れず、また連絡が来るとほっとします。一人残される恐怖があまりに大きく、どう扱われようと、そばにいてくれさえすれば安心感を覚えるからかもしれません。
上司に仕事の手順を教わっただけなのに、「何様のつもりで私に指図するんだ」という思いが先に浮かぶことがあります。侮辱しながら命令していた父親が上司に重なり、父親の前で言えなかった怒りまでこみ上げてくるからかもしれません。
面接の前の晩に徹夜したり、関係が落ち着くと自分からけんかを仕掛けたりすることが繰り返されるなら、子どもの頃に自分で下した結論が、本人も気づかないうちに、大事な場面での選択に影響しているのかもしれません。
朝起きてからも、見た夢のひと場面が何度も頭に浮かぶことがあります。その場面は未来を告げる予言ではなく、昼間に大丈夫だとやり過ごした屈辱感や悲しみが、夢となってふたたび現れたものかもしれません。
親が生きていても、「いつかは自分のことをわかってくれるはず」という期待があるために、会うたびに同じ傷を負う人がいます。自分が望んでいた親の姿を手放せず、もらえなかった愛情を悼むことができていないのかもしれません。
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