職場や人の集まりでは親切な人が、配偶者や子どもに対しては、話をさえぎったり取り合わなかったりすることがあります。外での付き合いは役割と距離が決まっているので、気持ちを深く見せなくても済みます。身近な関係では、相手に頼ることも増え、傷つくおそれも大きくなります。そのため、傷つかないように身を守ろうとする反応が、外にいるときよりも強く出ます。話をさえぎったり、取り合わなかったりするのも、そうした反応のひとつです。長い年月のあいだに身についた反応なので、本人はなかなか気づかないことがあります。
身近な関係でだけ感じる冷たさは、気のせいなのでしょうか?
周りの人たちがその人を高く評価していると、冷たいと感じるのは思い過ごしではないかと迷うことがあります。けれども、周りの評価が高いからといって、身近にいて味わってきた冷たさがなかったことになるわけではありません。外では誰にでも親切なのに、自分を愛してくれる人のことだけは軽んじ、踏みにじるように扱う人がいるからです。外での親切さと身近な人への冷たさは、一人の人の中に両方ありえます。こうした態度はふだんは表に出ず、夫婦や恋人、親子のように愛情で結ばれた関係の中でだけ現れることがあります。ですから、その人がどういう人かを知るには、外で見せる親切さと、身近な人への接し方の両方を見る必要があります。
自分の考えを「事実」だと感じている人に、違う意見はどう聞こえるのでしょうか?
身近な人の前で身を守ろうとする反応は、いくつかの形をとります。ひとつめは、自分の考えだけを正しいとして譲らない形です。心理学では、その背後にある感じ方を「万能感」と呼びます。万能感とは、まるで自分が神にでもなったかのように、自分が知っていること、信じていること、考えていることが、すべて絶対に正しい、疑いようのない事実のように感じられる状態です。万能感の強い人は、自分の判断がひとつの意見にすぎないとは考えません。そのため、相手から違う記憶を聞かされたり、自分の話と食い違う気持ちを打ち明けられたりすると、自分の言うことを否定され、嘘つき扱いされたように感じて、身を守ろうとします。こうして会話は、事実を一緒に確かめる場ではなく、どちらが正しいかを決める争いになってしまいます。
このとき相手は、もっとうまく説明すればわかってもらえるはずだと考えて、同じ話を何度も繰り返します。けれども、問題は説明が足りないことではありません。自分の考えがそのまま事実だと感じている人には、自分と違う見方があること自体が耐えられないのです。そのため、相手の言葉がひとつの意見ではなく、自分への攻撃のように聞こえます。だから、その言葉を受け入れるのではなく、容赦なくはねつけます。
本音を隠して距離をとるのは、一人が好きだからですか?
身近な人の前で身を守るもうひとつの形は、本音を見せずに距離をとることです。近づけば見捨てられるのではないか、相手に振り回されるのではないかと恐れている人は、自分の気持ちを口にせず、尋ねられても答えをはぐらかします。はじめのうちは、慎重で自立した人に見えるかもしれません。けれども関係が深まるにつれて、相手はその人に壁を感じるようになります。
心理学では、このように人と距離を置く態度を「孤立」と呼びますが、これは人から仲間はずれにされて一人になることではなく、自分のほうから人と離れていることを指します。一人でいるのが好きで選んだように見えても、実際には、近づいたときに生まれる恐れを避けるために、人との関わりに自分で線を引いているのです。本人もその恐れに気づかないまま、「自分はもともと人を必要としない人間だ」と説明することがあります。
黙ってうなずいているのに、なぜ何も変わらないのでしょうか?
自分の考えは絶対に正しいという万能感が、いつも大きな声で表に出るとは限りません。万能感の強い人が外向的な性格なら、自分をほめてほしいと得意げにふるまい、声を張り上げ、人を思いどおりに動かそうとするので、すぐに目につきます。同じ万能感でも、もの静かな性格の人は、声を荒らげたり、自分を認めてほしいと前に出たりはしません。そのかわり内心はとても頑固で、誰に何を言われても受け入れません。声を荒らげないからといって、話が通じているわけではありません。家族と話し合ってうなずきはしても、その後の行動がまったく変わらず、自分の考えも口にしないのであれば、相手には何が決まったのかがわかりません。
こうした静かな頑固さは、周りと表立ってぶつかることが少ないので、声を荒らげるタイプに比べて、本人が「自分にはこんな面があったのか」と気づきにくいのです。そのため頑固さは心の中にそのまま残り、長く続くことがあります。表面は静かで穏やかに見えても、話しているのはいつも相手だけです。その人の沈黙は、相手には拒絶として伝わることがあります。
身近な人にだけ冷たい理由がわかったら、繰り返し傷つけられても耐えるべきなのでしょうか?
身近な人にだけ冷たくする理由がわかると、その振る舞いを「自分のせいだ」とばかり受け取らずに済むようになります。けれども、理由がわかったからといって、それが免罪符になるわけではありません。無視や沈黙、侮辱が繰り返されるなら、どんな振る舞いが受け入れられないのかを、具体的に伝える必要があります。
「怒らないで」と頼むだけでは、相手がそれでも怒ったときに自分がどうするのかが決まっていません。それよりも、受け入れられない振る舞いと、そのとき自分がどうするかを、あわせて決めておくほうがはっきりします。たとえば、「相手が私の話の途中で席を立ったら、その日はそれ以上話を続けようとせず、日を改めてもう一度話す」と決めておくのです。こうしておけば、相手がどう振る舞っても、自分が次に何をするかは決まっています。冷たく接してくる相手に本当に変わる気があるかどうかは、その人の説明よりも、繰り返される行動を見て判断すべきです。
自分にも、身近な人にだけ心を閉ざす瞬間はないでしょうか?
自分の考えだけが正しいと思うこと、距離をとること、黙って頑固に自分を通すこと。これらは多かれ少なかれ、誰にでもあります。この文章を、冷たい人を見分けるためのチェックリストとしてだけ使うと、自分の中にある同じ面は見えてきません。そうなると、身近な人に心を閉ざして傷つけることが、自分の側でも繰り返されかねません。自分も家族の話を聞く前から結論を出していないか、寂しかったことやがっかりしたことを言葉にせず、相手が察してくれるのを待っていないか、振り返ってみる必要があります。
親密さとは、何もかも我慢することでも、何もかもさらけ出すことでもありません。互いに違う考えを口にし、嫌だと感じたことも聞き合ったうえで、接し方を見直していける。それが親密な関係です。人と関係を築く力は、外での評判よりも、身近な人と意見がぶつかったときの向き合い方に、より正確に表れます。
執筆:金亨根(キム・ヒョングン)——ソウル依存症心理研究所 所長、現代精神分析教育院 院長。対象関係論にもとづく心理療法家、そしてスーパーバイザーとして、臨床と教育に携わって26年になります。ご相談は相談掲示板へ。
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