自分が犠牲になれば、あの人は変わると信じていました

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相手がお酒を飲んだり、借金をしたり、約束を破ったりしても、代わりに後始末をする人がいます。外から見れば献身のようですが、心の中には「自分が犠牲になって、この人を必ず変えてみせる」という覚悟があるのかもしれません。このように相手の問題を自分のことのように背負い、その人の世話をすることに自分の生きる理由を見いだすことを、「共依存」と呼びます。

相手の問題を代わりに解決してあげると、何が起きるのでしょうか?

相手に代わって言い訳をし、借金を返してあげると、相手は自分の行動がもたらした結果を味わわずに済むようになります。自分では助けているつもりでも、実際には相手が変わらなければならない理由を取り除いてあげているようなものです。それでも相手が変わらないと、「自分の犠牲がまだ足りなかったのだろう」と考えて、さらに多くの責任を負います。こうして代わりに責任を負うほど、相手はそのままで、自分はその関係にいっそう強く縛られます。

最初のやさしさを覚えていると、なぜ今の無視や暴言に耐えてしまうのでしょうか?

お酒を飲んだり約束を破ったりする相手も、出会ったころはむしろ、とりわけ愛想がよくてやさしかったということがよくあります。関係の初めに相手が見せた関心とやさしさが強烈であるほど、人はその姿を相手の「本当の姿」として記憶します。その後、無視や暴言が繰り返されても、「自分がうまくやれば、前のあの人に戻ってくれるはずだ」と期待します。

このとき、相手を判断する基準が、今の行動ではなく、過去のひとときになっています。相手が今、責任を認めて行動を変えているかどうかよりも、最初にどれほどよくしてくれたかにしがみつきます。よかった思い出は、この関係がよくなる可能性を示してはくれても、今繰り返されている無視や暴言をなかったことにはできません。

すでにつぎ込んだ時間とお金が惜しくて離れられないなら、何を見るべきでしょうか?

長く耐えてきた人は、ここで終わりにすれば、これまでの犠牲がすべて無駄になると感じます。すでにつぎ込んで取り戻すことのできない時間とお金を「埋没費用(サンクコスト)」といいます。この時間とお金が惜しくて、関係を終わらせられないのです。けれども、これまでたくさんつぎ込んできたという事実は、これからも同じ損失を背負い続けなければならない理由にはなりません。

関係を判断するときは、これまでどれだけ耐えてきたかではなく、これからも同じことが繰り返される可能性を見るべきです。相手が謝ったあとに具体的な変化があるか、責任を人に押しつけていないか、必要な治療や助けを自分から求めているかが基準です。

なじみのある苦しみが、なぜ慣れない穏やかさより安全に感じられるのでしょうか?

子どものころ、非難されながら人の顔色をうかがって過ごしてきたのなら、大人になって人を非難する相手に出会ったとき、どう耐えればいいのかを体がすでに知っています。相手の機嫌に気を配り、怒りをかわし、問題を代わりに解決する役割になじんでいます。穏やかな関係では、かえって何をすればいいのかわからず、不安になることがあります。

ですから、自分が好きで選んだ相手だと思っていても、実はなじみのある感じのする人を選んだのかもしれません。すると、相手は違っても、関係のかたちは子どものころに経験していた関係に似てきます。配偶者の言葉が、子どものころ父親から言われた非難のように聞こえる瞬間も訪れます。相手を変えようとする執着には、子どものころ非難されながらもどうすることもできなかったあの関係を、今度こそ直したいという欲求が混じっています。

献身と共依存は、何が違うのでしょうか?

献身する人は、助けられる範囲を決め、相手が選んだ行動の結果は相手に引き受けさせます。相手がよくなろうとなるまいと、自分の人生が崩れることはありません。共依存に陥ると、その結果まで代わりに責任を負い、相手がどんな状態かによって自分の価値が揺らぎます。相手がお酒を飲むと自分が失敗したように感じ、相手が回復すると、もう世話をすることがなくなった自分が役に立たなくなるのではと不安になります。

相手がすっかり健康になったとき、喜びより先に空虚感を覚えるのなら、その人の面倒を見る役割が「自分とは何者か」の大部分になってしまっていないか、見つめる必要があります。愛は、相手が自分を必要としていなければ保てない関係ではありません。

相手を変えようとして使っていた力を自分の人生に向け直すには、何から始めればいいのでしょうか?

まず、相手に代わって言い訳をするのをやめ、相手の問題をありのままに口にしなければなりません。そして、自分が何を肩代わりしないのかを決めなければなりません。暴力や脅しがあるなら、相手を説得するよりも、自分の安全を守り、警察や相談機関のような関係の外の助けを借りることが先です。相手がいつか変わることを待ちながら、自分を危険な状況に置いたままにしてはいけません。

関係から離れたり距離を置いたりすることは、愛がなかったという意味ではありません。「この人を救ってこそ自分には価値がある」という思いから背負い込んできた役割を手放すことです。相手が選んだことの結果は相手自身が引き受けるのにまかせ、自分の時間とお金と体を大切にしはじめるとき、犠牲のせいで関係に縛られていた自分を、解き放つことができます。


執筆:金亨根(キム・ヒョングン)——ソウル依存症心理研究所 所長、現代精神分析教育院 院長。対象関係論にもとづく心理療法家、そしてスーパーバイザーとして、臨床と教育に携わって26年になります。ご相談は相談掲示板へ。

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