今日休むことと、子どもをずっと顧みないことは違います

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休みたい気持ちになるのは、子どもを愛していない親だからなのでしょうか?

一日中働いたあとで、子どもが遊んでとまとわりついてくると、重荷に感じたり、いらだったりすることがあります。そのとき「よい親ならいつでも喜んで遊んであげるべきだ」と考えると、疲れに罪悪感まで加わります。結局、無理に遊んで怒ってしまったり、何の説明もなく子どもを押しのけてしまったりしがちです。

休みたい気持ちになるからといって、子どもを愛していないわけではありません。親にも休む権利があり、体の限界があります。今日一日遊んであげられないことと、子どもをずっと顧みないことは、まったく違います。疲れそのものよりも、子どもが毎回断られ、いつまた親といっしょに過ごせるのかわからない状態が続くことが問題なのです。

説明なしに断られると、子どもはどう受け取るのでしょうか?

幼い子どもは、今日の出来事を一生のことのように受け取ることがあります。親が何の説明もなくドアを閉めると、「お母さんはいま疲れている」ではなく、「私をいらないんだ」と受け取ることがあります。そんなときは、言われるままに聞き入れるよりも、いつまで休んで、いつまたいっしょに過ごせるのかを具体的に伝える必要があります。

「いまは三十分休まないといけないの、タイマーが鳴ったら、あなたが選んだ本を一冊読もうね」と言うことができます。子どもががっかりしたら、「待つのはいやなんだね、いっしょにいたかったんだね」と気持ちをわかってあげながらも、休む時間は守ります。そして、約束した時間になったら、実際に戻っていきます。こうしたことが繰り返されるうちに、子どもは、待つことと見捨てられることは違うのだと学んでいきます。

短くても集中した時間は、心がよそにある長い時間よりよいのでしょうか?

一日中子どものそばにいながらずっとスマホばかり見ているよりも、十五分間目を合わせ、子どもが主導する遊びについていくほうが、親の心が自分といっしょにあるという感じを子どもに与えられます。何時間いっしょにいたかよりも、いっしょにいるあいだに子どもの言葉や行動に実際に応えたかどうかが大切です。

もちろん、短い時間だけですべての世話が足りるわけではありません。食事、安全、日常の会話、そして子どもの気持ちをわかってあげることは、ずっと必要です。親ひとりでは抱えきれないなら、配偶者や家族、子育て支援サービスと役割を分ける必要があります。

完璧ではない親でも、子どもを安心させることはできるのでしょうか?

子どもを安心させるのは完璧な親ではなく、失敗したあとでもまた子どものもとへ戻ってくる親です。約束を守れなかったり、いらだちをぶつけたりしたなら、知らんぷりをせずに、具体的に謝ることができます。たとえば怒鳴ってしまったなら、「遊ぼうって言ってくれたのに怒鳴って、怖かったよね、疲れているのはこっちの事情で、怒鳴ったのはこっちの失敗だよ」と伝えるのです。謝ったあとは、次の行動を変えなければなりません。

自分をいたわったからといって、子どもに注げる愛情が減るわけではありません。親が自分の限界を知り、助けを求めるほど、子どものもとにもより安定して戻っていけます。今日休まなければならないなら休んで、子どもにいつまたいっしょに過ごせるかを伝え、その約束を守ればよいのです。


執筆:金亨根(キム・ヒョングン)——ソウル依存症心理研究所 所長、現代精神分析教育院 院長。対象関係論にもとづく心理療法家、そしてスーパーバイザーとして、臨床と教育に携わって26年になります。ご相談は相談掲示板へ。

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