若い頃は、家族を養い、子どもを育てるのに追われて、大切なものを失っても、心が傷ついても、悲しむ時間さえなかった人がいます。その記憶が浮かんでくるともっと働き、涙がこみ上げてくると、忙しいからとやり過ごしてきました。そのおかげで、すぐに崩れ落ちることなく、任された役目を果たすことができました。
つらい記憶を押し込めて生きてきたのは、卑怯なことだったのでしょうか?
忙しいからとやり過ごして、つらい記憶から目をそらしていたあの頃の自分を、卑怯だったと責める必要はありません。当時は、安心して打ち明けられる相手も、悲しむ時間も、なかったのかもしれません。そうして押し込めて避けてきたことは、解決策ではありませんでしたが、その時期を持ちこたえて生き延びさせてくれた、一時しのぎの方法でした。
暮らしのペースが変わると、押し込めていた感情はどうなりますか?
子どもたちが独立し、職場での役割が変わると、以前ほど忙しくはなくなります。つらい記憶が浮かんでも、もう忙しさを理由に押しのけることはできません。親が年老いていき、自分の体も以前のようではなくなるのを経験するうちに、若い頃に失ったものも、ふたたび心に浮かんできます。以前なら何とも思わずに見ていたドラマの場面で涙が出たり、ずっと前に聞いたひと言が、明け方になるたびに思い出されたりすることがあります。なかった感情が新たに生まれたのではなく、押し込めていた感情が、もう押し込めたままではおさまらなくなったのです。
押し込めていた感情がこうしてふたたびこみ上げてくることは、たいてい四十歳ごろから始まります。もちろん、誰にでも四十歳きっかりに始まるというわけではありません。ただ、中年になって役割が変わったり、何かを失ったりすることが、過去を振り返るきっかけになることがあります。
精神科医のユングは、この頃から続いていく人生の後半には、大切な課題が変わると考えました。外の世界で何かを成し遂げることだけでなく、人に決められた姿ではない、本当の自分の姿で生きていくことが大切になる、というのです。ところが、押し込めてきた記憶や感情も自分の姿の一部なので、それをずっと押し込めるばかりで生きていては、本当の自分の姿で生きていくことはできません。だから、この頃になると、押し込めていた感情が何度もこみ上げてくるのです。
昔のように持ちこたえるやり方が通用しないのは、自分が弱くなったからでしょうか?
若い頃は、我慢して働いていれば、問題はしばらく後回しになりました。いまは、同じやり方で持ちこたえようとすると、眠れなくなったり、何をする気力もわかなかったり、似たようなことに何度も腹が立ったりすることがあります。持ちこたえようとするほど、こうしたことがひどくなる場合もあります。これは、自分が弱くなったから起きていることではありません。押し込めてきた記憶や感情を、もう先送りにせずに見つめるようにと、体と心が送っているサインです。
ここで必要なのは、過去を一気に掘り返すことではありません。一つずつ順番に確かめていけばいいのです。まず、ドラマの場面でこぼれる涙や、似たようなことに何度もこみ上げてくる怒りのように、このところ繰り返し起きている反応が、どんな記憶とつながっているのかを見てみます。次に、その記憶の中の出来事があったとき、誰にどんなことを言いたかったのに言えなかったのかを、思い出してみます。最後に、いまの自分を守るには何が必要なのかを確かめます。
傷を負えば、人はひとりでに成熟していくのですか?
苦しみを経験したという事実だけで、人に知恵が身につくわけではありません。何が人を変えるのかは、ギリシャ神話に出てくるケイローンの物語に見ることができます。
ケイローンは、半分は人間、半分は馬のケンタウロスで、医術で名の知られた師でした。死ぬことのない体でしたが、毒矢を受けました。死ぬことができないので、毒がもたらす苦しみを果てしなく味わい続けなければなりませんでした。人を治してきた者が、終わることのない傷を抱えることになったのです。そのため、この神話は、人を癒やす人もまた傷を抱えている、という話としてよく読まれます。
もしケイローンが、苦しみを忘れさせてくれる方法に頼っていたら、どうなっていたでしょうか。苦しみを忘れたからといって、体の中の毒が消えるわけではありません。体はずっと痛むのに、心だけがその痛みを見ないふりをして、精神は死に、体だけが苦しみの中に残されたまま生きていたことでしょう。
ケイローンは、そうしませんでした。痛みを忘れようとはせず、体も精神もともに、その苦しみをそのまま味わい抜きました。もともと医術で名の知られた師だった彼は、この苦しみを経験するなかで、忍耐強く、慈悲深い医者になりました。傷が変えたのは、彼が医者であるかどうかではなく、どんな医者であるかでした。ケイローンとは違って、自分の傷をなかったことにして済ませてしまうと、慈悲深くなるどころか、自分が味わったのと同じ苦しみを、ほかの人に対して繰り返してしまうこともあります。
傷が生き方を変えるのは、その出来事が自分に残した影響を認め、必要な助けを受け、これからの選択を変えていくときです。ケイローンの物語のように、苦しみに意味がありうるからといって、自分がこうむったつらい出来事を良いことだったかのように飾り立てたり、あのとき我慢したのは正しかったと言ったりするわけではありません。
よみがえった記憶を、いまどう扱うことができるでしょうか?
過去の自分は一人で耐えなければなりませんでしたが、いまの自分は、信頼できる人を選び、どこまで打ち明けるかを自分で決めることができます。浮かんできた感情を書き留め、抱えるのが難しい記憶は専門家と一緒に扱い、いまの睡眠と日常をまず守ることができます。
記憶が戻ってきた理由を、罰や失敗だと解釈する必要はありません。以前は押し込めなければならなかった気持ちを、いまは別のやり方でいたわる余地が生まれたのです。我慢して持ちこたえるだけだった生き方から、こみ上げてくる感情を感じ取り、自分に必要なものを自分で選ぶ生き方へと移っていく過程なのかもしれません。
執筆:金亨根(キム・ヒョングン)——ソウル依存症心理研究所 所長、現代精神分析教育院 院長。対象関係論にもとづく心理療法家、そしてスーパーバイザーとして、臨床と教育に携わって26年になります。ご相談は相談掲示板へ。
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